アーツブレインズ

THOUGHT

開発者の想い

【第1回 流行をつくった少女のこと。】

日本のアイメイクの歴史は戦後の欧米への憧れを引き継いだ60年代ファッションにその源流を見ます。

  • ツィギーがやってきた

     ビートルズ来日の翌年のことです。1967年イギリスから、ツィギーという名の華奢な少女が羽田に降り立ちました。世界中にミニ(スカート) を流行させた彼女は、来日の瞬間から日本中の少女達を虜にし、彼女を真似たルックスがブームを巻き起こします。 ツィギーはメイクにも大きな影響を及ぼします。 ツィギーに象徴された欧米人の彫りの深い顔と大きな目への憧れは、ふたえ瞼をイメージする太い「アイライン」、アイホールを強調する「アイシャドウ」、目をパッチリ大きく見せる 「つけまつげ」を大流行させます。 TVや雑誌は、そんなメイクファッションに溢れ、この当時の流行は日本人のひとえ瞼の美しさを忘れてしまったかの様にも見えました。 こうした中で、「ふたえのり」や「ふたえテープ」などのふたえメイクが誕生します。流行は、始まるときも終わるときも、次の流行や、ずっと先の流行の要素をその中に内在させていきます。ふたえメイクは60年代アイメイクや風俗が消えても、欠かせないアイメイクの一つとして、深く潜行したまま少女達に広まっていきました。

  • 少女たちのつぶやき

     私が化粧品開発の仕事に就いたのは、それから20年近く経った頃になります。ふたえメイクの原料となる水性ラテックス ( ゴム ) のりを発明した「つけまつげ」のメーカーに勤めた私は、化粧品の商品開発をすることになりました。そのとき聞こえてきたのは、「ひとえの顔を友達に見られたくないから修学旅行には行かない」「運動をするとひとえに戻っちゃうから体育は見学する」というふたえメイクをしている少女達のつぶやきです。
    美しさへの憧れが、少女達の心を傷つけていました。あってはならないことでした。
    これが「化粧とは何か」を真剣に考え始めるきっかけでした。
     目の印象を変えることは、他人から見た心象を変えるのも事実。 メイクは、コンプレックスを隠したり自分を否定するのではなく、自己を肯定し、自信をつけ、自己発見や自己成長させるものでなければなりません。『憧れる人やなりたい自分がある』と思ったとき、すでにその人の中にそれは育っています。綺麗になりたいという少女達の憧れを実現させるには、ひとえをコンプレックスから解放し、自由で楽しいふたえメイクとしての提案し直すようなイノベーションが必要でした。

  1. 01.流行をつくった少女のこと。
  2. 02.2つのふたえメイクと第3の道。
  3. 03.売れない企画。
  4. 04.「ライフスタイルを変える力」。
  5. 05.「開発は自己否定」。
  6. 06.開発は未来を創る